2008.07.23 Wednesday
子どもとゲーム:(1)DSないと「あっちに行け」 肌身離さず、生活一変
子どもとゲーム:(1)DSないと「あっちに行け」 肌身離さず、生活一変
岐阜県の山間部にある小学校の学校医は、健康診断で必ず児童に言わせていることがある。「私の好きなのは○○です」。生活状況がよく分かるので3年前から続けている。低学年では食べ物やペット、妹弟の名前などを口にすることが多かったが、今年の3年生の男児は異質だった。8割がゲームのソフト名を挙げた。
04年12月に発売された携帯型ゲーム機「ニンテンドーDS」(任天堂)と「プレイステーション・ポータブル(PSP)」(ソニー・コンピュータエンタテインメント)が、「子どもの生活を変えた」と言われる。
「DSを持っていなくて『あっち行け』と言われた」「公園でゲーム機がないと、通信できないと言われる」。鳥取市私立幼稚園PTA連合会が昨年行った保護者アンケートには、こんな答えが相次いだ。
広島市の主婦(36)は昨夏、レストランで目にした4人家族の姿が忘れられない。メニューの注文が終わるや、全員が一斉にDSの画面を開いてゲームを始めたのだ。「それでおいしいのかな」。今も違和感は消えない。
- - - -
いつの時代も新しいものに違和感を感じるもので。
子供がゲームにはまるのはなにも今に始まったことではないし、もしPSPやDSがなかったらまじめに勉強して外で友達と仲良く遊んでいられたのか、と言えば決してそういうわけではないでしょう。
なんでも漫画、アニメ、ゲームの責任に転嫁するのはわかりやすくて賛同を得やすいと考えているようですが、これらは間違いなくその原因にはなりません。
昨今問題になっている「漫画、アニメ、ゲームのせい」で起きていると無理矢理こじつけられている暴力事件にしても同様で、「では、それらにはまって観ている人たちは全員「暴力事件予備軍」なのか?
もし、そうだったとしたらなぜ「漫画、アニメ、ゲームだけ」が問題で「テレビニュース、ドラマ、映画、新聞、雑誌など」の媒体での暴力表現は問題視されないのか、これらの間を隔てるものはなんなのか、それが説明できない限り「漫画、アニメ、ゲームのせい」だとするのは、早計に過ぎないだろうか。
もしその時々の流行しているものが一番影響を受けやすく、だから問題なのだ、とするならそれこそどんな時代にも問題はあるはずだ。かつてのベーゴマや面子が流行ったときにはこれらを持たない人は仲間はずれだし、プロレスが流行った時代はその技を真似てけが人が続出していたはずだ。
理由がこれだけなら結局のところ、出る杭は打たれる、打たなくてはならないという考え方、「ただ新しく、よくわからないものは怖い」というただそれだけのことになるだろう。
「漫画、アニメ、ゲーム」と現実の暴力の間には何の因果関係もない。もしそれをつなぐ何かがあるとすれば、それは「漫画、アニメ、ゲーム」のせいではなく「そのつなぐ何か」だろう。
それがよくわからないから短絡的に流行しているものが悪いとされてしまう。
そうすることで、わかりやすく説明でき、悪を作り出すことができる。
この「作り出した悪」を罰することが正義だ、とするならこれほど危険な考え方もないだろう。
ニンテンドーDS
タッチパネルs.jp
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岐阜県の山間部にある小学校の学校医は、健康診断で必ず児童に言わせていることがある。「私の好きなのは○○です」。生活状況がよく分かるので3年前から続けている。低学年では食べ物やペット、妹弟の名前などを口にすることが多かったが、今年の3年生の男児は異質だった。8割がゲームのソフト名を挙げた。
04年12月に発売された携帯型ゲーム機「ニンテンドーDS」(任天堂)と「プレイステーション・ポータブル(PSP)」(ソニー・コンピュータエンタテインメント)が、「子どもの生活を変えた」と言われる。
「DSを持っていなくて『あっち行け』と言われた」「公園でゲーム機がないと、通信できないと言われる」。鳥取市私立幼稚園PTA連合会が昨年行った保護者アンケートには、こんな答えが相次いだ。
広島市の主婦(36)は昨夏、レストランで目にした4人家族の姿が忘れられない。メニューの注文が終わるや、全員が一斉にDSの画面を開いてゲームを始めたのだ。「それでおいしいのかな」。今も違和感は消えない。
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いつの時代も新しいものに違和感を感じるもので。
子供がゲームにはまるのはなにも今に始まったことではないし、もしPSPやDSがなかったらまじめに勉強して外で友達と仲良く遊んでいられたのか、と言えば決してそういうわけではないでしょう。
なんでも漫画、アニメ、ゲームの責任に転嫁するのはわかりやすくて賛同を得やすいと考えているようですが、これらは間違いなくその原因にはなりません。
昨今問題になっている「漫画、アニメ、ゲームのせい」で起きていると無理矢理こじつけられている暴力事件にしても同様で、「では、それらにはまって観ている人たちは全員「暴力事件予備軍」なのか?
もし、そうだったとしたらなぜ「漫画、アニメ、ゲームだけ」が問題で「テレビニュース、ドラマ、映画、新聞、雑誌など」の媒体での暴力表現は問題視されないのか、これらの間を隔てるものはなんなのか、それが説明できない限り「漫画、アニメ、ゲームのせい」だとするのは、早計に過ぎないだろうか。
もしその時々の流行しているものが一番影響を受けやすく、だから問題なのだ、とするならそれこそどんな時代にも問題はあるはずだ。かつてのベーゴマや面子が流行ったときにはこれらを持たない人は仲間はずれだし、プロレスが流行った時代はその技を真似てけが人が続出していたはずだ。
理由がこれだけなら結局のところ、出る杭は打たれる、打たなくてはならないという考え方、「ただ新しく、よくわからないものは怖い」というただそれだけのことになるだろう。
「漫画、アニメ、ゲーム」と現実の暴力の間には何の因果関係もない。もしそれをつなぐ何かがあるとすれば、それは「漫画、アニメ、ゲーム」のせいではなく「そのつなぐ何か」だろう。
それがよくわからないから短絡的に流行しているものが悪いとされてしまう。
そうすることで、わかりやすく説明でき、悪を作り出すことができる。
この「作り出した悪」を罰することが正義だ、とするならこれほど危険な考え方もないだろう。
ニンテンドーDS
タッチパネルs.jp
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